間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

「福岡道雄展 つくらない彫刻家」感想2

の続き。

 

FRPの板の上に「何もすることがない」とか「私達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」といった言葉を延々と写経のように刻んだ作品郡については、この作家が創作という行為に縛られ、自縄自縛の状態で吐き出した怨念のようなものを感じた。この怨念じみた文言の1つ1つは陰鬱なのだが、作品から少し離れて全体を眺めてみると、不思議な美しさがある。積み重なった思念の地層とでも呼べそうなものの断面に、おそらく本人も意図していなかったであろう法則的な様態が現れている。

 

何かを生み出すときには、必ず生みの苦しみが伴う。何の苦しみもなく最初から最後まで楽しいずくめで物を作っている人がいたとしたら、それは創作ではなく単なる作業に没頭しているだけだからだろう。何か新しいものを作り出そうとしている人ほど、生みの苦しみは大きく、創作という行為から楽天的な意味合いが薄れ、己を縛る呪いのようなものへと変貌していく。

 

しかし、いくら苦しんだところで、そんなに独創的な作品がそう易々と作れるはずがなく、作家は創造の神が降りてくるまでの時間を悶々としながら過ごさなければならない。何も作っていないとき、作家本人は自分自身を無価値だと感じる。その焦燥から逃れるために、福岡道雄は「なにもしない」をした。あの写経のような文字列は、その第一段階として、画面上の空白を時間的な空白でびっしり埋めたものなのだと思う。

 

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撮影可の展示室にて撮影

 

福岡道雄はアーティストトークで、「自分はもう彫刻家という肩書きにこだわっていない。何も作っていないのだから、ただの爺さんでいい」と語っていた。「つくらない彫刻家」を名乗ることで、何も作っていない時間までが創作行為になってしまうことに疲れてしまったのかもしれない。

 

どこまでも観念で己を雁字搦めに縛っていくこの作家の姿勢には悲壮なものを感じてしまうのだが、本人を見ると実に飄々としていて、そんな風に考えるのも大袈裟な気がした。あの解脱したような佇まいは、中島敦の「名人伝」に登場する弓の達人、紀昌を思わせる。物事の行き着く先まで辿り着いた結果、それそのものが不要になってしまったのか、それとも本当にただの盆暗になってしまったのか、自分にはまだまだ程遠い場所の話である。

「福岡道雄展 つくらない彫刻家」感想1

現在、国立国際美術館で開かれている「福岡道雄展 つくらない彫刻家」を見てきた。アーティストトークにも参加し、作家本人の話を聞くことができた。聞き手の松井智恵氏との金玉トークなども盛り上がって、大変聞き応えがあった。

 

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撮影可の展示室にて撮影

 

自分が福岡道雄という人を知ったのは数年前で、今回の展示のサブタイトルにもなっている「つくらない彫刻家」という書籍を読んでから、作品に興味を持った。

 

自分なりの解釈では、福岡道雄の作品は「とてもよい丸」だと思っている。若いうちから様々な作品を作り続ける中で、だんだんと作品の要素が削ぎ落とされていき、「馬鈴薯」「腐ったきんたま」「つぶ」といったように、ごくシンブルな形の「丸」に集束している。

 

例えば、単に「丸」「四角」「三角」と基本的な形を思い浮かべてみても、その形の中には正確にコンパスで描いた真円もあれば、殴り書きしたような歪な形の四角や三角もある。これらは色で言うと、「赤」「青」「黄」といった、ごく大雑把な括りでしかなく、細かく見ていけば「朱色」「群青色」「黄土色」といったような微妙な調子の色の地平が無限に広がっているのである。これら1つ1つに名前をつけることなど到底不可能である。名前をつけること、つまり言語化することには、そのような微妙な差異を無視、同一視しようとする働きがあり、芸術的感覚はこれに抗うものである。

 

ただ単に100人の人間に紙と鉛筆を渡して丸を描いてもらっても、そこには100通りの違った丸が出来上がる。日本の書画における円相図の面白さはここにあって、ただ丸を描くだけでも、そこには描く人の何かが表れている、という風に見ていくと、形の微妙な違いを見分ける楽しみが生まれてくる。それを個々人の思想性にまで高めたのが円相図だと自分は認識している。

 

福岡道雄の素描作品にも「丸」を描いたものがあり、A4ぐらいの普通の紙に鉛筆で2〜3センチしかない小さな丸が1つ2つぽつんと描かれているだけで、あとは空白である。彼の「丸」は、丸を描こうとして描いたというより、偶然鉛筆が紙にぶつかってできただけのような無造作な印象を受ける。仮にこの作品が道端に落ちていても拾う人はまずいないだろうというぐらい、作品然としていない。実際、多くの観客はこの作品を一瞥しただけで通り過ぎていた。

 

しかし、単なる「丸」や「四角」の中にも無限の差異があるということに気付いてから、自分はそのような微妙な形を発見するのが面白くなり、海岸で石やガラスを拾って観察したりするようになった。波に削られて一様に丸くなったものを並べても、全く同じ形のものは1つとしてない。それらを集めて見ていくと、同じ「丸」の中にも自分にとっての良し悪しができてくる。言語で大雑把に括れば同一視されてしまうものの中にも、自分なりの基準を作ることができるということは、作家の感覚としてとても重要なことである。「全く同じ」にできるのは、データの中、つまり概念においてのみである。

 

福岡道雄の最後の作品である「つぶ」は、本人にとっての「丸」や「形」が行くところまで行き着いたものなのだと思う。それを良いものだと思って作ったかどうかは知らないが、とにかくシンプルな形の中にある本人のこだわりが結実したものであることは違いない。

 

へ続く。

払わなければいい

現在、映像制作の料金未払いに遭っていて、面倒臭いことになってきている。完成データはすでに納品済みで、後は金を払ってもらうだけなのだが、何度メールしてもほとんど返って来ず、返ってきても「経理に確認します」だの「○日に支払います」だのと言うだけで一向に払わない。電話も全く繋がらない。

 

今まで前金を取らずにやってきた自分も認識が甘かった。所詮アマチュアだからと、契約書も作らずに適当にやってきたツケが回ってきたらしい。見ず知らずの人間から依頼があった場合、こういうことが起こる可能性を考えておかねばならなかったのである。次からは必ず前金を取るなり依頼者の口座を控えるなりするつもりだが、すでに起こってしまったこの状況をどうするか考えなければならない。

 

こういう場合、まずはメールや電話で問い合わせをして、それでも相手が払わないのであれば、請求書を内容証明で送って、最終的には少額訴訟、財産の差し押さえという形になるらしい。しかし、調べれば調べるほど日本の法律というのは踏み倒しをする債務者に甘くできていて、「何を言われようが払わなければいい」と開き直った相手から合法的に金を取るのは非常に面倒臭いのである。

 

今回のような少額の未払いだと、弁護士を雇うと出費の方が大きくなってしまうので、面倒臭い手続きを全て自分でやらねばならず、理不尽な作業を強いられることになる。そんなことをするぐらいなら、もう金は諦めて、他の仕事にでも精を出した方がよっぽど収入に繋がるという場合もあるだろう。実際、弁護士のサイトなどを調べていると、「未払い金が少額なら諦めましょう」などと書いてあるところもあり、ふざけているのかと思った。自分の場合、少額訴訟を起こせば勝てるだろうが、調べてみると、勝ったところで金をすんなり取れるとは限らないということが分かり、こういった面倒な事情から、債権者側もできれば訴訟はしたくないという人が多いのではないかと思った。

 

自分の場合、近日中に内容証明を送ることになると思うが、内容証明には何の拘束力もなく、言ってみれば「訴訟の準備段階に入った」という軽い脅し程度の効果しかない。そして、訴訟に勝ったとしても、債権者は相手の口座などを自分で調べなければならない。さらに、もし口座が分かったとしても、相手が口座に金を入れていなければ当然差し押さえできない。また、自宅にある現金は額が66万円以下だとこれも差し押さえ不可。給料からは手取り額の4分の1までしか取ることができない。こんな有様では抜け穴なんかいくらでもあるに決まっている。

 

日本弁護士連合会が2015年に行ったアンケート調査によると、殺人などの重大犯罪について、賠償金や示談金を満額受け取ったという回答はゼロ。6割の事件では、被害者側への支払いが一切なかったという。単なる仕事の賃金未払い程度ならまだしも、殺人などの被害者遺族に対してもこんなことがまかり通るというのはどう考えても法律がおかしいとしか思えない。こんなものはれっきとした犯罪者なのだから、そんな人間が賠償金を「払いなさい」と言われて「はい払います」と素直に払うわけがないではないか。なぜ法を犯した人間の善意を前提とするような構造になっているのか理解に苦しむ。

 

現在、この問題に関しては、法務省民事執行法改正のための中間試案が出ているそうなので、このような理不尽な状況が少しでも改善されることを期待するしかない。本来なら自分はこんな難しい法律の問題などに関わるような人間ではないのだ。こんなやりたくもないことをやらされる破目になって本当にうんざりする。

思い出に苦しむひと 2

 過去の読書ノートより抜粋。

 前回の記事からの続き。


 

 今読んでいるのはヘッセの「人は成熟するにつれて若くなる」という本。「クヌルプ」よりも後に書かれた随筆集で、テーマは繋がっている。「クヌルプ」がヘッセの30代後半の作品で、今から老いを迎える人間の不安が前面に出ていたのに対し、この本は老いを迎えた後でどのように生きていけばいいのかという、「クヌルプ」である意味棚上げされていた問題の回答が書かれている。


 ただ、ヘッセという人は最期まで思い出に捉われながら生きた人のようで、この本で繰り返し書かれている「老年には老年の価値がある」といった内容も、何となく自分に言い聞かせているように見えてしまう。どうしても「老いる」ことの悲しみが底流にあって、ヘッセ自身がそれに縛られている気がするのである。その分、書かれている内容は本当に切実で、こうして書くことによってしか心が救われなかったのではないかと思えてくる。しかも、ヘッセは85歳まで生きたので、自分では晩年だと書いている50歳前後の頃から、まだ30年以上もそれが続いたのだと思うと、生きるということに空恐ろしいものを感じてしまう。


 若い頃の思い出に縋って生きるということは、結局は果てしなく長い苦しみしか生まない生き方になってしまう。「若さ」を前提とした価値を第一のものとして認めてしまうと、人生は3分の1程度の前半部にしか価値がないと言っているのと同じことだ。世間ではこの価値観が当たり前のものとして喧伝され、事あるごとにメディアから押し付けられるが、それを真に受けていると、ほとんどの人は人生の残りの3分の2を、喪失感を抱えたままで生きていかねばならなくなる。そしてそのことに関しては誰も責任を取らない。


 価値観というものは、個人の中でも時期によって移り変わっていくもので、要は当人が生きているその時期をよいものだと思うことさえできればそれが一番いいのである。そのため、普通の人は若さを失いつつも、それと引きかえに別の何らかの価値を積み上げながら生きている。坂を下っている間でも、何かひとつ向上しているものさえあれば、人はそれを信じて生きていけるのである。これは歳をとると杖が必要になるのと同じである。そして、多くの人は他者に杖にして生きている。他に何も生きている理由がない人でも、子供がいたら、よほどのことがない限り真面目に生きるだろう。もしくは、「人のために」といって社会的な奉仕活動に精を出す人なども、相手が不特定多数という違いはあれど、考え方は同じである。


 老年という長い冬に耐えるためには、一時しのぎで自分の人生の根拠を他人に預けているだけでは駄目で、自分の中に確固たる価値を作らなければならないのだと思う。作家にとっては、書くということがそれを補強する行為に他ならず、どこまでも自分と対峙することが唯一の対抗策だったのだろう。

思い出に苦しむひと 1

 過去の読書ノートより抜粋。

 


 

 ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」という小説を読んだら、自分が普段抱えている雑念と重なるテーマが取り扱われていて、随分と心を揺さぶられた。


 この小説の主人公クヌルプは、住所不定の放浪生活をしている人間で、各地を転々としながら芸人や職人の手伝いのようなことをして暮らしている。容姿にも人脈にも恵まれているらしく、親切にしてくれる知り合いが非常に多い。どこへ行っても嫌な顔ひとつせず生活の面倒を見てくれる知人がいて、今の日本のように仕事で憔悴した社会人がニートや遊び人を蔑んでガス抜きをするというような風潮はない。皆親身になってクヌルプの先行きを心配し、世話をしてくれるのだが、クヌルプはあえて定住の地を持とうとしない。若い内はそれでよかったのだが、クヌルプも若さを失い、40歳を迎えたとき、肺を患う。医者にもう長くないと宣告され、行き倒れ同然に路上で息を引き取る。


 物語の最後の、死を目前に控えたクヌルプと神との対話のシーンは読んでいて本当にたまらない気持ちになった。言ってみればクヌルプは遊び人である。社会的な経済活動にほとんど参加せず、人と人との間で助けられて生きてきた。当時の世相からすればニート同然の穀潰しだったのかもしれないが、現代のニートとは違って、非常に社交的であり、また多くの人々から好意的に扱われている。孤立することが多くなった現代の人間からすると、むしろクヌルプの生き方はむしろ、普通に生きるよりも難易度の高い、人間力が求められる生き方のように思える。おそらく現代でこういう生き方をしている人というと、インターネットで旅行記を書いたり、書籍を出版したりしているような人が近いのではないかと思う。こういった生き方は、何かに縛られて生きている一部の人間からは反感を買うかもしれないが、現代ではむしろ多くの人々の憧れとなる夢のある生き方だと言える。


 が、クヌルプ本人は人生の終わりを迎えて、強烈な後悔の念に襲われる。自分には美しかった少年時代の思い出があるだけで、それ以外には何もない、全て無意味な人生だったと感じる。神はそれに対して、クヌルプがどんなに恵まれた人生を送ってきたかを説いて聞かせる。お前の人生には肯定すべき部分が数え切れないほどあったではないかと話す。

 

「わたしの名においておまえはさすらった。そして定住している人々のもとに、少しばかり自由へのせつないあこがれを繰り返し持ち込まねばならなかった。」

 

 クヌルプが自分の人生を空虚だと感じるのは、長い人生の中で誰もがほんの一時しか持ち得ないものだけしか見てこなかったからだ。いわばクヌルプは人生を死ぬまで夢の中で生きた人であって、そのような稀有な生き方をしたからこそ、それだけの短い生涯しか与えられなかったのだ。彼は現世で特定の誰かから生涯をかけて愛されることはなかったが、それを補って余りあるほど神に愛された人間だったのである。


 この小説で描かれていることは、晩年を迎えた人間がどのようにして人生を肯定すればよいかということではないかと感じた。他の著作にも見られるようにヘッセ本人が自身の少年時代の思い出に縛られていて、そこから遥かに隔たってしまった自分に向けて書いた物語なのだと思う。人生はほんの一時の鮮やかな時期を過ぎてしまえば、あとは老いとの闘いであって、失っていくばかりの人生をどのようにして生きていけばいいのかという問題が誰にでも必ず覆いかぶさってくる。そうなったとき、どんなに夢見ても、もう絶対に手の届かない若い頃の思い出に縋って生きていくだけだとしたら、それはあまりにも空虚だと言わざるを得ない。


 この作品では、クヌルプが若さを失ってからの時期が少ししか描かれていないし、結果的にクヌルプは夢から覚めることのないまま生涯を終えた。つまり、クヌルプは肺病に罹ったことさえ恵まれていたと言えるわけで、実際の人生は、そこから延々と続いていくのだ。歳をとればとるほど失い、辛くなっていくばかりの下り坂の人生を、なぜ生きていかねばならないのか。その答えはこの作品には出てこないし、ヘッセ自身もまだ理解できていなかったのではないかと思う。