間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

「福岡道雄展 つくらない彫刻家」感想2

の続き。

 

FRPの板の上に「何もすることがない」とか「私達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」といった言葉を延々と写経のように刻んだ作品郡については、この作家が創作という行為に縛られ、自縄自縛の状態で吐き出した怨念のようなものを感じた。この怨念じみた文言の1つ1つは陰鬱なのだが、作品から少し離れて全体を眺めてみると、不思議な美しさがある。積み重なった思念の地層とでも呼べそうなものの断面に、おそらく本人も意図していなかったであろう法則的な様態が現れている。

 

何かを生み出すときには、必ず生みの苦しみが伴う。何の苦しみもなく最初から最後まで楽しいずくめで物を作っている人がいたとしたら、それは創作ではなく単なる作業に没頭しているだけだからだろう。何か新しいものを作り出そうとしている人ほど、生みの苦しみは大きく、創作という行為から楽天的な意味合いが薄れ、己を縛る呪いのようなものへと変貌していく。

 

しかし、いくら苦しんだところで、そんなに独創的な作品がそう易々と作れるはずがなく、作家は創造の神が降りてくるまでの時間を悶々としながら過ごさなければならない。何も作っていないとき、作家本人は自分自身を無価値だと感じる。その焦燥から逃れるために、福岡道雄は「なにもしない」をした。あの写経のような文字列は、その第一段階として、画面上の空白を時間的な空白でびっしり埋めたものなのだと思う。

 

f:id:tojima-to:20171106054443j:plain

撮影可の展示室にて撮影

 

福岡道雄はアーティストトークで、「自分はもう彫刻家という肩書きにこだわっていない。何も作っていないのだから、ただの爺さんでいい」と語っていた。「つくらない彫刻家」を名乗ることで、何も作っていない時間までが創作行為になってしまうことに疲れてしまったのかもしれない。

 

どこまでも観念で己を雁字搦めに縛っていくこの作家の姿勢には悲壮なものを感じてしまうのだが、本人を見ると実に飄々としていて、そんな風に考えるのも大袈裟な気がした。あの解脱したような佇まいは、中島敦の「名人伝」に登場する弓の達人、紀昌を思わせる。物事の行き着く先まで辿り着いた結果、それそのものが不要になってしまったのか、それとも本当にただの盆暗になってしまったのか、自分にはまだまだ程遠い場所の話である。