間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

他人のことばかり

ちょっと前回書いたことの繰り返しみたいになるが、最近ずっと考えていることなので書いておく。

 

インターネットにのめり込めばのめり込むほど強く感じるのは、ネットはどこまで行っても他人事の世界に過ぎない、ということである。他人がやっていることをディスプレイ越しに眺めていても、自分の生活はどうにもならず、ただ時間を浪費するばかりだ。こんなことはツイッターに嫌気が差した時点でとっくに気付いていたことである。

 

岡本太郎なんかは、テレビでスポーツ中継ばかり見ている人のことを、自分と何の関係もない人のことを応援している暇があったら自分のことをやれと批判していたぐらいだ。そうしなければ自分の人生は一向に充実しない。他人のことばかり眺めて生きている人生は、自分の人生の主人公の役から降りているようなものだ。そんな人生が面白いわけがない。にもかかわらず、多くのSNSは「人と繋がる」などというテーマで、どうでもいい他人の生活を四六時中追いかけるようなライフスタイルを推進している。SNSというのは、自分を人生の主人公から引きずり降ろしてしまう最悪のツールなのではないかとさえ思えてくる。

 

しかしまあちょっと冷静になって考えてみると、こうして他人のことばかり羨んでいる習性そのものが諸悪の根源なのであって、隣の芝は青く見えるというだけのことかもしれないのだ。個展やライブに知り合いばかり呼んで、ネット越しの傍目には盛況に見えても、肝心の売り上げは素寒貧というケースもよくあることである。

 

とにかくこんな風に他人のやっていることばかり気にして鬱屈している無駄な時間とストレスをなくすようにした方がいい。俺は他人の活躍を見て「よし、自分も頑張ろう」などと前向きに思えるような健全な人間ではないのだから、この習慣は毒にしかなり得ない。そんなことをしている暇があったら絵の1枚でも描いた方がどれだけ有意義か分からない。これについては前から散々嫌な思いをしているのに、暇を持て余すとすぐネットで不必要な情報ばかり集めてしまう。もう何一ついい影響がないと分かっているので、いい加減にやめたい。

 

そもそもの話をすると、俺は元々はこんなに他人に興味のある人間ではなかった。今でも傍目には全然他人に興味がない人間だと思われていると思う。しかし実際には周囲の人がやっていることを気にしていて、特にネットで分かるようなことだと、よせばいいのにすぐ見てしまう。

 

何故こうなるのかというと、ネットという道具のおかげで、他人の動向を知るための労力が減ったからだと思う。ネットがなかった頃は、他人の動向を知るためには、本人に直接会うとか電話をするといった、本人への何らかのコンタクトを取らねばならないことがほとんどで、そうすると自分が相手に興味を持っているということを本人に知られてしまうのが当たり前だった。しかし今は本人に察知されずにSNS等で動向を知ることができ、心理的抵抗が全然ないので、出歯亀根性みたいなものが増幅させられてしまう。

 

こうした他人への興味は、俺の場合、面識のある身近な人に限られていて、自分と関係のない芸能ニュースなんかには依然として全く関心がない。しかし一度でも何らかの関わりを持った人だと、途端に気になってくる。これは俺にとっては、「別に腹が減っているわけでもないし、食べないなら食べないで何の問題もないのに、机の上にミカンとか煎餅が置いてあるとつい食べてしまう」みたいな状態に似ている。要するに暇だからそういう余計なことばかりしてしまうのだろう。人のことよりもうちょっと自分の動向に関心を持った方がいいのは言うまでもない。

 

とはいえ、他人への興味というのは、良い形で出力できれば、むしろ人間関係を良くするエネルギーになる。これだけSNSが浸透して、芸能人でも何でもない有象無象までが情報発信している時代なのだから、みんな他人に興味を持たれたいという自己顕示欲は肥大化していると見ていいだろう。そんな中で、自然な形で他人への興味を示すことができる人は、情報発信をしている人よりもかえって需要のある人間と言えるかもしれない。まあでもネット上に無限に溢れている他人の情報を四六時中飲み込んでいたら吐き気を催すのが当然の成り行きだと思われるので、興味を示すなら、むしろ相手に伝わるように現実でやった方が何かと実りがあるのではないかと思う。