間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

MVは贅沢品

自分は作家活動をしていると書いたが、具体的に何を作っているのかというと、銅版画やアクリル画である。映像制作もする。最近は粘土で遊んだりもしている。全部ただの遊びだろと言われたらその通りで、「リリィ・シュシュのすべて」という小説の中に「いろんなことを手広くやる奴に本当の才能は宿らない」という言葉があるように、どれもそれで食えたりしているわけではない。それでもたまに絵を買ってくれる人がいたり、映像制作の依頼が来たりするので、なんとか続けられている。

 

話がそれたが、今回書きたいのは、映像制作についてである。映像制作については、正直なところ、やって「いた」と表現した方が正確かもしれない。というのは、最近はあまりにも作るのが辛くて半ば廃業しようかと思っているところだからである。

 

理由はいくつかある。並べてみると、
・「1本作るのに時間も手間もかかりすぎる」
・「自分の制作技術が時代遅れになっている」
・「儲からない」
・「たのしくない」
などがある。

 

自分が依頼で作っているのは主にミュージシャンのMVで、これを作るに当たってどうしても気になる点が1つある。それは、「これ本当に作る意味あるのか?」ということで、金を貰って作っているのに宣伝効果が薄くて妙な罪悪感に苛まれている。

 

自分のような無名の作家が請け負うのは、当然無名のミュージシャンのMVで、せっかく彼らが金を出してMVを作り、youtubeなんかにアップしても、再生数が1000にも届かなかったりすることがざらにある。そういうわけで、毎回自分は「これじゃただの思い出作りにしかなってないな」と溜息をついたりしているのだが、あくまで自分の仕事は映像を作ることであって、宣伝効果があるかどうかまでは責任が持てないし、結婚式のビデオなんかはそもそも思い出作りにしかならないのに、MVより高いギャラを取って恥辱的な映像を納品したりしているのでまあいいかと自分を納得させている。

 

自分がやっているMVの仕事の何がおかしいのかというと、元をただせば、youtubeの再生数が1000にも届かないようなミュージシャンが金を出してMV制作を依頼してもあまり意味がないのだと言うしかない。もちろん、依頼を貰えれば嬉しいし、真面目につくる。相手がどういうつもりで依頼しているかも分からないのに、「やめたほうがいいですよ」なんてことは立場上言えない。しかし、宣伝の方法としてはどう考えても間違っているのであって、もし映像の力で有名になりたいのであれば、もっと有名な映像作家に依頼するのが筋というものである(めちゃくちゃギャラ高いだろうけど)。

 

MVというものは言ってみれば贅沢品なのであって、最低でも制作費を回収できるぐらいの人気が集まるまでは、音源だけの発表で我慢するなり、自分たちで何とかしてビデオを撮るなりした方がいいと思う。最近はカメラの性能も凄いので、適当に演奏しているところを撮るだけでもわりと様になる。正直、「俺に制作依頼するその金でカメラ買えばいいじゃん」と思うし、なんならiPhoneで撮ったって良いものは作れる。そのせいでプロの映像制作者は要りもしないようなエフェクトをゴテゴテに盛って、プロの仕事ぶりを過度にアピールしなければならなくなったりしているが。

 

最後になったが、元から思い出作りのつもりで作る分には別に何の文句もない。映像の仕事というのは元々そういう性質も持っている。自分はプロの制作会社のことまでは知らないが、MVというものは分かりやすく短期的に宣伝効果が出るものではなくて、長いスパンで見なければならないものだと思う。