間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

手業の痕跡

焼き物狂いが高じて、最近やっと白磁青磁の良さが少しずつ分かってきた。色々な店でそういう器があったら観察するようにしている。以前は全く良さが分からなくて、均質的でつまらない器としか思えず、ほとんどスルーしていた。特に白磁は、あまり綺麗に作りすぎると百均の食器と見分けがつかなくなって、かえって安っぽく見えてしまう。百均でも売っているということは、それだけポピュラーな製法だということなのだろうが、今、これをあえて手作りで綺麗に作る意義はよく分からない。

 

機械で作られた大量生産品の器は、一様に形が整いすぎていて、表情がない。最近は手仕事風に作られた小賢しい器も出回っているが、質感が安っぽかったり、高台がいかにも機械で切断しましたというようなスパッとした切り口だったりするので、見れば大抵すぐ分かる。機械では「あえて下手に作る」とか「ムラを出す」といった仕事は難しいのだろう。


一方で、整然としたものを作るのは機械の得意分野なので、寸分の狂いもなく作られた白磁の器はどこの雑貨屋に行っても大抵置いてある。最近は安物でもシンプルでオシャレなデザインを取り入れているものが多く(百均は盗用デザインだらけだが)、そういうものはもう人間の手で作る必要はないと俺は思っている。

 

白磁の器に限って言えば、一流の技術を持った作家の精巧な器と、機械で作った百均の器と、同じようなデザインのものを並べられたらどっちがどっちか俺には分からないと思う。手で作っているのに手業の痕跡が見出せないようなデザインにして、機械で作ったものに近づけるということに一体どういう意味があるのか。そういうものをあえて買う人は、もはや「手作り」という情報を買っているに過ぎないのではないか。本当に百均の器と見分けが付くのだろうか。


話を戻すと、白磁というのはそれぐらい微妙な差の中にものすごいバリエーションが広がっている器なのだ。「手作りの作家の器」と「大量生産の百均の器」という両極端の対立だけならまだしも、実際にはこの中間に白山陶器みたいなデザイン性の高いブランド品なんかもあったりするので、本当にどれがどれだか言われなければ分からない。あのつるっとした白い表面だけは手で作ろうが機械で作ろうが違いはなく、あとはもうデザインで見分けるしかない。

 

そんな中でも俺が良いと思える白磁の器は、どれだけ精巧に作られていても、ほんの僅かに残った手業の痕跡が見せる微妙な表情のある器である。手作りがいいからといっても、わざとらしすぎるのは駄目だし、上手く作ろうとすること自体は悪いことではない。問題は技術をどう活かすかであって、その精巧な白磁の器にほんの僅かに残された表情が、もしも作家の意図するところであったとするならば、それは非常に美しいものだと思う。そういう白磁の器なら1つぐらい手に入れてみたい。