間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

金のことはちゃんとしたい

先月の下旬に、ある陶芸家のブログを見ていたら、その工房でのアルバイト募集の記事を発見し、しかも通えそうな場所だったため、衝動的に応募した。メールで何回かやり取りをした後、面接に行き、後日採用のメールが来たのだが、採用条件に色々と問題があったため、結果的に話がなくなった。


非常に興味のある陶芸の仕事ということで、かなり前のめりになって面接に向かったというのに、そこで提示されたのは最低賃金を200円以上も下回る時給(ブログ記事では明示されていなかった)。しかも窯を使う場合は焼成費を別途徴収するとも言われ、一気に気持ちが萎んでいくのを感じた。さすがにこの条件で働いていたら絶対嫌になると思って、「せめて最低賃金は払って下さい」と申し出たら、「うちで働いている人達にはみんなそんな時給は払ってないので、それだったら雇えない。最低賃金がいくらかというのも全然知らなかった」と言っていた。


この件に関しては本当に思うことが山ほどあって、ひと口にこうだという断定はできない。まず、自分には陶芸の経験は全くないので、向こうからすると一から仕事を教えねばならず、むしろ授業料を貰いたいくらいだというのが賃金が安い理由なのだろう。しかし最低賃金は文字通り人を雇う場合の最低の賃金なのであって、被雇用者が未経験だろうが使い物にならなかろうが、勝手にこれ以下の時給にしてはならないはずである。正直、「その金額で雇えないなら雇っちゃ駄目ってことなんですけど、そのへんどうなんだろう」と思った。


自分もアマチュアの副業ではあるが、絵を売ったり映像制作の依頼を請けたりして金を稼いでいる人間なので、陶芸家の仕事がそんなに儲かるものではなく、少ない収入の中からなんとか人件費を捻出して人を雇っているというのもよく分かる。自分がやっている映像の仕事なんか、時給換算したら数十円か、下手すると小数点以下の額になるかもしれない。しかし、それは自分が好きでやっているからいいのであって、人を雇うとなれば、いくら合意の上であってもそれは労働基準法違反である。


こういう法律のことなんかを言い出すと、当然、「法律を守るだけで上手く行くことばかりではない」という意見が出てくると思う。はっきり言って自分もその意見には一理あると思うところがあって、本当ならこんなことは言いたくないのだ。全ての車が制限速度を守って道路を走っていたら渋滞になるとよく言われるように、法律が全て正しいわけではないというのも十分理解している。なので、ああいった労基法を無視した労働環境でも、納得して働いている人達は別にそれでいいと思う。そういうやり方でしか得られないものもあるだろうし、賃金以外の何かのために働いている人もいるだろう。気に入らないなら自分がそこへ入らなければいいだけの話だ。


以前、ネットでどこかの刀匠が無給で人を雇おうとして炎上した件があったが、こういった芸術とか美術の徒弟制度的な仕事というのは、未だに法律では手が回らないところがあって、こういうことは珍しくないのだと思われる。その刀匠の一件では、「無賃労働」ではなく、「無料の学校」ということにすればよかったのではという意見が出ていて、実際の落としどころはこのへんだろうなと思った。


職場か学校かで金の流れは真逆になる。仕事のためならばいくら教える手間がかろうとも授業料を天引きしたりしてはならないし、学校であれば生徒は学びに来ている立場なので無関係な雑用をさせてはならない。自分の件も、「お金が貰えて陶芸が学べるお得な話」という考え方もできたのだろうが、今から陶芸家を目指すわけでもないので、自分には納得できなかった。 


せっかくやる気になって面接に行ったのに、なんだかこういう結果になってしまって残念だ。「この程度の条件も呑めないぐらいの熱意しかない人はいらない」と言われたみたいで嫌になる。熱意を示すために条件を呑むべきだったのだろうか。「最低賃金以下でも働きたいです」というのを熱意というのだろうか。熱意がどうだろうが、自分が仕事をするときには、金のことははっきりさせておかなければ絶対に面倒なことになるということを身をもって知っているので、「好きなことやってるんだからお金のことはどうでもいいよね」という考えの押し付けには全く同意できない。まあ今回は問題が起こる前に回避できたのだから良しとしよう。


最後になったが、自分は陶芸家の仕事を非常に尊敬している。向こうも勝手に憧れられて、勝手に失望されて迷惑だったかもしれないし、よく知らずに応募したのはちょっと軽はずみなところがあったかとも思うが、尊敬する陶芸家の仕事だからこそ、まともなやり方で作品を作っていてほしかったのだ。しかし世の中そんなに甘くないということなのだろう。つらい。