間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

絵を売る

ネット上には作家が絵を販売するためのサイトがいくつかあるが、それらのサイトの状況を眺めていると、「アートをどこまでも大衆化していくとどうなるか」という社会実験を見ているような気分になった。

 

それらのサイトの大半は薄利多売に傾斜していて、買い叩きと叩き売りの応酬が繰り広げられていた。強気な値段を付けている作家もいるにはいるが、売れているものはほとんど見かけない。それも無理のない話で、ネットでどこの馬の骨とも分からない作家の絵を買う人間などごく僅かだろう。売れているのは数千円の低額商品ばかりで、それも売れやすいモチーフ「女性のポートレート」「草花」「動物」を描いたものが非常に多い。

 

これはイラスト系の展示や物販に力を入れているギャラリーと同じ状況で、絵画作品を売っているというよりは、インテリアや雑貨を売っていると言った方が近い。そのようなギャラリーに異常に多い「犬展」「猫展」などの安直なモチーフの展示に見られるように、売ることに傾斜しすぎると、内容はどんどん希薄になり、作品は単なるグッズ化していく。グッズとして売る場合、高尚なコンセプトや思想性はかえって邪魔になる。

 

もちろんギャラリーならばそれぞれの特色があるので、各々が好きにやればいいのだが、ネットの販売サイトのように玉石混交の市場が次々と薄利多売に支配されていくと、当然作家はその値段分の仕事しかしなくなるので、長い時間と大きな労力が必要とされる大作が生まれなくなる。これは作家がSNSに作品を作ったそばからアップして、即座にレスポンスを受け取ることができるようになったのと似ていて、こういうことを繰り返しても、作家としての制作力は一向に向上しない。工業製品のように大量生産が不可能である以上、薄利多売に走っても自分の首を絞めるだけである。

 

絵みたいな極めて趣味的な性格の商品を売ろうというときには、売り場の雰囲気作りが重要なのであって、ああいうサイトで落書きに滅茶苦茶な高値を付けているユーザーや、露天商みたいな叩き売り価格で販売しているユーザーなんかと一緒くたに並べられたら、売れるものも売れないだろう。どんな綺麗な服でも貧乏臭い露店で売られていたら購買意欲は薄れる。絵は生活必需品でないからこそ、そういう部分に気を配らなければならない。

 

絵という商品は実用性皆無で、極めて趣味的な性格のものなので、いくら安くしようが買わない人は絶対買わない。生活必需品でなく消耗品でもない物の需要は元々かなり限られているのだ。こういうものを作って売って継続的に食べていくということができるのも、ごく一部の人間だけであり、これは誰にでもできる一般的な仕事とは言えない。これを沢山の人がやろうとすると、当然のことながら供給過多になってしまう。大量の作家がせっせと大量の絵を描いても、絵を飾る壁はそんなにないし、飾りたいと思う人もそんなにいないのである。

 

もはや日本の現代美術作家にとって作品というものは、商材ではなく、自分が作家であるという証拠品、あるいは名誉を得るためのステップに過ぎなくなっているのではないか。テレビに出ているお笑い芸人にしても、最初は漫才やコントをやるのが活動の中心だが、売れてくるとそういうことは段々とやらなくなり、CMに出たり番組の司会をやったり、役者になったりする人が大半である。どの業界でも「作品」を収入源にして生活していくのは実に効率が悪いのだ。

 

前にも書いたが、作家も大半は作品の売り上げではなく、全く別の仕事をしたり、どこかの学校で講師をしたりして生活している。しかし、作品を売ることで食えないのであれば、それはもう職業とは言えないのではないか。今どき詩人や冒険家を職業とは言わないように、実際に収入を得ている職業とは別の、単なる肩書きに過ぎなくなっているように思えてならない。