間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

お客様から抜け出せないアーティスト1

芸術なんかにあまり興味がないという人にとっては、芸術家の展覧会というと、基本的に美術館や百貨店で開催されているもののことを想像すると思う。しかし、そのような場所で展示ができるのは評価や知名度のある作家だけで、大多数の作家は美術館や百貨店での展示には縁がない。そんなわけで、有象無象の作家は、初めは貸しギャラリーを借りて作品を発表することが多い。自分も何度か貸しギャラリーで個展をしてみた結果、正直、貸しギャラリーというものに対する不信感を強めるばかりで、あまり希望が見出せなかった。

 

大雑把に分けると、ギャラリーには貸しギャラリーと企画ギャラリーの2つがある。

 

貸しギャラリー

・賃料がかかる。

・基本的には誰でも利用できる(審査がある店もある)。

・作品の売り上げに関しては、販売手数料を取る店もあるし、一切取らない店もある。

 

企画ギャラリー

・賃料はかからない。

・ギャラリーが選んだ作家の企画展示のみを行う。

・作品の売り上げを作家と店が分割する。割合は店によるが、基本的には貸しギャラ

 リーより高い。

 

貸しギャラリーで個展を開くとして、収支がどのようなものになるのか、試しに数字を挙げてみる。自分が知っている某ギャラリーだと、1週間(実質6日間)の賃料が12万5千円。さらに作品が売れた場合、売値から販売手数料が30%差し引かれる。ということは、仮に1週間で20万円の売り上げがあったとすると、販売手数料が−30%で残り14万円、そこから賃料で−12万5千円、残りが1万5千円。単純にギャラリーに払う金だけでこうなるので、宣伝にかかる費用や作品の送料、材料費なんかを入れると、このぐらいの売り上げではほぼ赤字になる。

 

これはあくまで一例で、賃料や手数料は店によってまちまちだが、1週間で20万円売り上げられるような作家ですらこの有様なのだから、作品の売り上げだけで生活するというのがどれだけ非現実的なことかは言うまでもない。個展を開くためには、それなりの数の作品を揃えなければならないのであって、準備に数ヶ月から数年はかかる。そんなわけで、作家として長年活動している人間であっても、主な収入源はどこかの学校や絵画教室の講師としての給料だったりする場合がほとんどである。

 

ギャラリーの人に直接訊いたわけではないので正確なところは知らないが、今どき貸しギャラリーを1週間借りるだけで20万円も売り上げられる作家は少ないと思う。それなりに条件の良いギャラリーだと、黒字にするだけでも結構大変である。逆に言えば、1週間で20万円程度も売り上げられないような作家はそこで展示をするべきではない、ということになるのかもしれないが、安定してそのぐらいの売り上げを出せる人は、そもそも貸しギャラリーなんか借りずに企画ギャラリーに売り込みにでも行った方がいいのではないかと思う。

 

以前書いた映像制作の話とも少し繋がるが、貸しギャラリーを借りて個展を開いたからといって、大きな宣伝力に与れるわけでも何でもない。むしろ宣伝は自分でしなければ客なんて来ないし作品も売れない。自分の責任で個展をやる以上、お客様感覚でいては駄目なのだと思いながらも、一方で自分はギャラリーには確かに賃料を払っていて、お客様に他ならないのではないかという疑問が湧く。ギャラリーと名のつく店に金を払ったにもかかわらず、それによって受けられるサービスが単に「場所を借りる」という一点に尽きるのだとしたら、これは果たしてギャラリーと呼んでいいのか。

 

誤解のないように補足しておくと、店番だの販売の手続きだの、商売における基本的な業務はギャラリー側が大抵してくれる。本当に「場所を貸す」ことだけしかやらないギャラリーがそんなに沢山あるわけではない(そんなものはギャラリーではない)。ただ、ギャラリーの本分である仕事が何なのかと考えたとき、それは当然「作品を売ること」のはずである。にもかかわらず、今の貸しギャラリーの実体は、芸術なんかに何の関心もなくても、誰でもできるような仕事でしかなくなっている。

 

作品を売る努力を放棄した貸しギャラリーは、金持ちの日曜画家なんかをおだてて個展を開かせ、賃料を取るのが目的と化している。客が入ろうが入るまいが、作品が売れようが売れまいが、ギャラリーは賃料だけでやっていけるような料金設定にしているのでどうでもいいのである。そのくせ絵が売れると「販売手数料」という名目で売り上げから何割かの金をかすめ取る。商売をする上での「もし商品が売れなかったら」という当たり前のリスクを賃料という形に変換して作家に丸ごと押し付け、たまたま入ったリターンにはしっかり手をつけるという、二重取りの卑怯極まりない営業姿勢が貸しギャラリーの常識になっている。当然、実力もない日曜画家の絵なんかを見に来るのは身内だけなので、何度個展を開こうが、自己満足にしかならない。ミュージシャンにとってのライブハウスも同じようなもので、ライブを見にくる客から金を取るのではなく、出演者から金を取れば良いという営業形態がこの業界でも当たり前になってしまっているそうだ。

 

このような貸しギャラリーと無名作家の関係を考えるとき、思い浮かぶのが紳士録である。その昔、紳士録詐欺というものがあったそうで、著名人などのプロフィールを紹介する本にあなたも名前を掲載しませんかと持ちかけ、掲載料と本の代金をせしめるというやり口だったという。そんな本を買うのは本に名前が載っている当事者たちだけで、まるっきり裸の王様でしかない。人の名誉心にかこつけたこの商法は、作家として名を上げたいという作家志望者と貸しギャラリーの関係に似ている。

 

絵画などのコンペでも、応募者の大半を入選ということにして(もちろん賞金なし)空疎な名誉を与え、出品料をより多くの作家志望者からせしめることが目的になっているようなものが多い。名目だけでも入選と言っておだてておけば、「今度は入賞するかも」ということで、また応募してもらえる可能性が高まると踏んでいるのだろう。作家側も箔がつくならということで、出品料を払ってそれを買う。これももはやコンペでも何でもなく、モンドセレクションと同じ、ただの商売である。こういうやり口を見ていると、なんだか子供の運動会で徒競走の順位をつけないというのと同じような、生温いままごとに思えてくる。こうなるともう創作という名の消費活動でしかない。

 

実際、貸しギャラリーで個展やグループ展をやると、次々と展示の声がかかるようになるのだが、別に賃料をタダにしてくれるわけでも何でもないので、カモにされているだけなのではないかという疑念が沸々と湧いてくる。貸しギャラリーからの展示の誘いは、実質的には「うちの商品を買ってくれ」と懇願されているに過ぎないのであって、これを作家としての自分に来た仕事の依頼のように思い込んで、次々と賃料を毟り取られているような作家もよく見かける。もちろん、そういう展示をして楽しければそれでいいという人もいるだろうし、人との出会いがあって何かが起こることもあるかもしれないが、そういった展示にいくら参加しても、それが作家のキャリアとして見られることはない。

 

に続く。