間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

陶器の手ざわり

 ここ1年ほどで、急速に陶器収集の趣味が高じて、気が付くといつの間にか食器棚から100均の食器が駆逐され、陶芸作家の手作りの器が入り切らないぐらい並んでいる。陶器、つまり焼き物が趣味だと言うと、いかにも爺臭い印象がある。自分も1年前までは焼き物なんか「なんでも鑑定団」に出てくるような爺の趣味でしかないと思っていた。事実、骨董市なんかに行くと、そういう類いの焼き物の方が圧倒的に多いのだが、一方で、最近では若手の陶芸作家が増えていて、彼らの作品の中には、爺臭さとは程遠い、洗練されたセンスのものがいくらでもある。

 

日本各地で陶器のイベントも開かれていて、人気は高まっている。自分が住んでいる大阪では「灯しびとの集い」というイベントが年に1回開かれていて、陶器に興味を持ったのもこのイベントに行ったのがきっかけだった。このイベントは陶器だけでなく、ガラスや彫金、染色、木工など、手仕事の作家を集めたイベントである。インターネットが発達して何でもかんでもデータ化されていく反動なのか、こういう確かな手作り品を好む人はかなり増えてきていると思う。前から知っている人にとっては今さら何言ってんだという感じかもしれないが、自分にとっては非常に新鮮な世界だった。

 

自分は元々は映像制作をしていて、データだけで実体のないものを作ることに半ば嫌気が差していた。その反動で、銅版画などというアナクロニズムもいいところの表現に行き着いたわけだが、絵を描けば描くほど、自然と質感を追求するようになり、そのために古い壁やら錆びた金属やらを観察するようになった。質感といえば陶器にとって最も重要と言ってもいい要素で、陶芸家は質感表現に関しては画家を凌ぐエキスパートだと思っている。土とは別に、金属の質感も好きで、銅版画の表現をいろいろと試行錯誤したり、金属の古道具を集めたりもしているのだが、それについてはまた別の機会に書く。

 

土と火が生み出す色彩と質感のバリエーションの豊富さときたら、いくら見ても見飽きないほどで、陶器の世界を知れば知るほど好きな作家がどんどん増える。自分の貧しい懐具合では、いくら買っても到底追いつかないぐらい素晴らしい器が人知れず出回っている。

 

「買う」ということについて書くと、現代の陶芸作家の作品の大半は、爺臭い高級な焼き物に比べれば格段に手頃な価格である。もちろん、100均とかホームセンターに売っているような大量生産の食器に比べれば高いが、コップ1個で大体2000〜3000円ぐらいのものだ。これを高いと思わなくなっているぐらいには陶器に魅了されている。

 

何にしても、手作りの品がたかだか数千円というのは、物を作っている人間であれば大して利益が出ていないのはすぐ分かることである。最近は陶芸作家がネットで直接販売していることもあるが、大抵は陶器を扱う店に委託していて、材料費や販売手数料なんかを考慮すると、薄利多売であるケースがほとんどだと思う。実用性がある分、絵に比べればまだ売れやすくてちょっとうらやましい気もするが。

 

陶器は実用品であると同時に、芸術作品でもある。自分はどちらかというと、作品を買って作家を応援するという感覚で購入している。作品、というと、自分が絵を売る人間でありながら、実は他人の絵を買ったことはほとんどない。それは、買うほど素晴らしいと思う絵は自分で描かねばならないと思うからでもあるが、なんとなく自分が絵を売る人間のくせに他人の絵を買わないということに変な後ろめたさがあって、その埋め合わせに陶器を買っているような気もする。

 

陶器を買い集める中で、改めて重要さに気付かされたのが、「実物を手に取ってみる」ということである。ネットで買うこともあるにはあるが、可能な限り実物を見られる場所で買うようにしている。というのは、写真だとどうしても感触や微妙な色加減を伝えるのに限界があるからで、アナログで絵を描いていれば、その微妙な差を感じ取る力は自ずと身に付く。絵描きがネットに上げた画像だけで自作を判断しないでほしいと思っているのと同じように、陶芸作家もできれば自作を手に取って見てほしいと思っているのではないだろうか。

 

また、実物を手に取って買うというのは、実際には望むと望まざるに関わらず、ネットだと売り切れていて買えないことが非常に多いせいでもある。人気作家の作品なんかになると、ネットショップだろうが実店舗だろうが、わざわざ整理券を配ったり販売開始時刻が事前に告知されたりするような有様で、買おうにも買えなかったりするのである。欲しくても買えないものを指をくわえて画面越しに眺めているよりは、手の届く範囲で実物を見て買う方が確実だ。陶芸作家は田舎に住んで制作に励んでいる人も多いので、良い作品を集めた店が地方にもたくさんある。

 

長くなった。
最後にコレクションを1つ自慢して終わりにする。

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この赤いコップは京都で作陶されている井内素さんの作品で、陶器収集で一番最初に購入したものである。手捻りといって、ろくろを使わないで手で直接成形しているので、長時間手に持っていた紙コップのように歪んでいたり、指の跡が残っていたりして、面白い変化に富んでいる。この赤色の生々しい質感は、ちょっとグロテスクにも見えるぐらい存在感があって、初めて見たとき、小綺麗な他の器の間で明らかに異質の佇まいを放っていた。なんだこれはと目に留まった。

 

この人の作品も例に漏れず人気があって、目当てのものを買おうとするとなかなか手に入らない。散々ネットで探したり、近所の店を回ったりした挙句、奈良まで探しに行ってやっと入手した。実際に使ってみると、形の歪みにほどよい脱力感もあって、このバランスが自分にとっては実にちょうどいい。