間違い電話の向こう側

芸術・その他雑記

フォロワーが増えれば増えるほど裸の王様感に苛まれる

前回Twitterの宣伝効果が薄いということを書いた。

今回はTwitterを使っていてストレスを感じた部分について書く。

かっこつけずに正直に感じていたことを書くつもりなので、かなりダサイというか痛いというか、けつのANAの小ささが丸出しの内容になると思う。

 

タイトルにさもフォロワーが多いかのようなことを書いたが、実際には700人ぐらいで、今となっては一般人でもフォロワー数万人とかいう人がざらにいるので、全然大したことのない数である。こんなんで王様も糞もない。しかし、この程度の数字でも、長年やっているといろいろ分かることがあった。

 

1つは、時間が経てば経つほどフォロワー数が形骸化するということ。

 

Twitterを辞めていく人の中にはアカウントを消さずにそのまま放置する人がかなりの割合でいるため、長く使えば使うほど、フォロワーの中に死んだアカウントが増え、フォロワー数と実際にツイートを見ている人の数が乖離していく。おそらくフォロワーが多い人ほど、その数に対する反応のショボさにギャップを強く感じているのではないかと思う。

 

これは、アクティブなフォロワーを確保していたければ、新しいフォロワーを増やし続けなければならないということで、ただでさえ飽きっぽいネットユーザーを相手にこういう努力を続けられる人は凄いと思う。自分にとってはこういう部分もなかなかのストレスだった。自分のアカウントは賞味期限が切れたような状態になり、ある時期からフォロワーが減る一方だった。特に何かまずい発言をしたわけでもなく、ただ使うのが嫌になって離れたら減ったというだけである。

 

まずい発言をするというほどではないにしても、作家のようにコンテンツを作る人のアカウントで、作家個人の人格を前面に出しすぎると疎まれやすい。

 

例えば、絵が見たくて絵描きのアカウントをフォローした人にとっては、絵以外のツイートはノイズである。実際、自分が今こうして書いているような長ったらしいたわ言をTwitterなんかに流しても、真面目に読む人は1人もいないだろう(Twitterだと読みにくいし)。

 

しかし、黙ってコンテンツだけを発信していればいいというのであれば、そのコンテンツに適した他のサイトでやればいいのであって、「人が多い」という部分以外、Twitterである必然性がなくなる。Twitterでコンテンツを発信する人は、一度はこの点に突き当たるのではないだろうか。

 

フォロワー数が形骸化して、反応が乏しくなってくると、Twitterを続けるモチベーションが下がる。「別に誰も見ていなくてもいいや」と強がったところで、ネットにアップしている以上、誰かに見て欲しいという欲求があることは否定できない。

 

(正直、せっせと苦労して作ったものが、適当にスマホで撮っただけの子猫の写真とかに負けるとマジで萎える。というか、そもそもツイートの下にお気に入りとかRT数を表示しないでくれ。他人がちやほやされているところなんか見たくないんじゃ。自分だけこっそり見てにやにやしていればいいではないか。確か昔は表示していなかったのに、なぜこんな風にしたのか。・・・自分はそういうことにいちいちストレスを感じていた。俺ださいなと思いながらも。)

 

作家という人種は承認欲求が強いので、「フォロー」という言葉で何となく相手が自分に好感を持ってくれているかのように錯覚してしまいがちだが、実際にはフォロワーは自分のファンでも何でもなく、タダでコンテンツを流してくれるからとか、フォロー返しをしてほしいからとか、面白い失態をやらかしそうだからとか、そんな理由でフォローボタンを押しているだけのユーザーの方が大半なのだと思う。そして、そのことに不満をぶつけようにも、自分自身が他の場面ではそれに当てはまっているのだから、鏡に向かって文句を言うようなことにしかならない。

 

漫画家の蛭子能収は、ストレスを感じながらFacebookを使い続けるユーザーに、「人はあなたにまったく関心がないってことを分かってないんだね。」と言ってのけたそうで、これは本当に透徹した言葉だと思う。顔も知らない相手に興味が湧かないのはむしろ当たり前で、だからこそ普通の人が普通に行きていけるのだ。憂うことは何もない。

 

ドラえもん」の中には、「めだちライト」という道具でのび太が人気者になり、最終的には他人からの視線に嫌気が差すという話があって、今思うとこれはSNSで承認欲求が肥大化していった末路のようにも見える。

 

前回も書いたが、結局のところ、作家とってはSNSなんかに費やす時間より、1人で悶々としている時間の方が遥かに重要なのだ。ネットの反応ばかり気にしてものを作っていると、多数決で良し悪しが決まるようなものしか作れなくなる。「世界で一番売れているのはコーラとハンバーガーだから、この2つが世界で一番うまい」みたいなことが言いたい人は、そもそも芸術なんかやるべきではない。

 

何にしても、自分にとっての結論は既に出ている。

「俺はTwitterに向いていない」

それだけだ。